その③ その日から…
妻への愛情を自覚してるのに、自分の感情が裏腹な状態にある…のも感じていた。
やきもちにも似た感情…。でも違う。
妻の回復傾向と共に、私が大好きだった妻が居なくなっていたから…これは恐らく私にしか解らないこと…。
それを例えるなら、思春期前の子供が親の機嫌を伺うような感覚…
妻は妻…。きっと当人も、私以外の誰かもそう言うと思う…。私だけが感じる思い…
妻のせいでは無いのだけれど…
思い当たる言葉は…
理不尽さ…
人を思う気持ちに対して理不尽さ…を感じるなんて…。自分で自分を責める場面が増えていった…。
前述したが、私は妻と妻の子供2人を引き取り再婚した…。妻を愛する気持ちと、妻の子供を愛する気持ちが同じ土台には乗らない…
解りきったことだし、それも含め家族になる事を選んだのだが…、この状況を向かえて私はそのバランスが取れなくなっていた。
今の状態の妻…支えた自分…
気持ちの見返りを求めてしまった自分…
しかし妻は、私を愛してくれた時の妻には戻らなかった。回復の為の防御反応だと思うが、性格が変わってしまった…
うまくは言えないのだが、、、
私が感じたのは、「私が妻を想って意識的にやってきた事」が、妻にとっては日常…(当たり前の行為、感情)的な行為、光景と捉えている…と感じざるを得ない反応になっていた…。
少し観点わ変えれば、母が子を想うのは当たり前…の事なんだろう…
でも私は、その時、それを当たり前と思えず、回復してきたのなら、また自分を見て欲しいと思ってしまった。
それだけ想いを馳せて向き合い、対応してきたから…
しかし妻は安心からなのか…症状なのか…
回復に連れて、過剰とも思える子供への関わりを見せていった…。私へは…それは見られない
もしかしたら私にそれを感じるエネルギーも無かった…のかもしれない。
妻の浮き沈みの激しい振る舞いや過ごし方…、そしてたまに見せる発作や症状。
私の感情が激しく揺さぶられる日々が始まった
優しい気持ちとイライラを隠し切れず、出来るだけフラットな自分を意識しているうちに、喋らない自分になっていた。そこに反応し伺う妻…
それを伺う私。
私はしてきた事への達成感や満足感が持てず、自己肯定感が下がっていった。報われない状況に対し無力感を感じ、自分の性格や生き方も自己否定するようになっていった。
私はこの時点で、妻の障害の認識やその特性を踏まえて向き合う事が難しくなっていたんだと思う。
彼女の回復を感じれば感じるほど、普通の夫婦の感覚で対応していたし、少し期待もしていた。
少し話しは遡るが、4年前に母を自殺で亡くした私…。母も鬱を患い通院していた。その受診の付き添いをしていたのも私…なのに、自分の余裕の無さから母に感情的に当たってしまった…その母と最期に交わした言葉は、その4日前…、私が初めて口にした母への感情的な言葉が引き金になったのかも…とも思っている…
その当時、妻の不安障害や、気胸による入院…それに伴う生活の大変さで母の気持ちに寄り添えかった自分がいたから…
だから、今の妻にも私は、本能的に、感情的になったり思いをさらけ出すことがしない自分になっている。
私は「カサンドラ症候群…」と言う状態でこれまで過ごしてきたことを知った。自分自身の内服と、心理士によるカウンセリングを受ける事になった。
ここまで聞いて頂きありがとうございます。
「その日から…」のタイトルで始めたこの話しは今から1年半くらい前から…のこと。
今現在の妻はまた働きに出ることが出来ています…。必要性もあって働いてますが…
ブログに慣れてない私は時系列で懸命にまとめてるつもりですが、下手くそですみません…。
ダラダラした話しになりそうなので、今現在、私は1Kのアパートで独り暮らしをしていることをお伝えします。
決して離婚はした訳ではありません。
この選択は夫婦共に同じ主治医であるドクターからの提案でもありました。もちろん決定するのは私たち夫婦ですが…
この辺についてまた次回以降、書けていけたら良いな…と思います。
聞いて頂きありがとうございました。