『別居』と言う選択①
『共感…』って、例えば私にとって、以下のような日常の普通のやりとりの中にあると思っている…
これは男女…、年代…、関係性…によって意見は様々だと思うが、私にとってはそうなのである…。
●気持ちがシンドい時…「辛いんだね…大丈夫?」「何があった?」
●疲れて帰った時…「今日もおつかれさま」「ご飯にしようか…」「お風呂先に入る?」
●楽しい事があった時…「何かいい事あった?聞かせて❕」
●同じ時間を過ごした時…「今日は楽しかったねぇ」「1人より2人のほうが楽しいねっ」
辛いことは半分こ…:;(∩´﹏`∩);:
楽しい事は2倍…ヽ(´▽`)/
こんな夫婦に憧れていた。
こんな夫婦で居ようね…って言っていた。
そしてお互い『共感』し合える2人の関係性だった…。
それが最期まで出来ると確信し、覚悟を持って妻と妻の子供たちと家族になった…
妻には更に前の前…の旦那との子どもが居た
妻はバツ2…。私で3人目。もちろんその存在は聞かされていたが、再婚し、改めてその子とも家族付き合いをしていった。
その子…と言ってもとっくに成人し自立した男であったが、関係性を保った。
それも、これも…「あの日…」を、境に妻も私も変わっていく事になった。
いつまでも、「あの日…」「その日…」と言っていても仕方ない事は解っているので、今回は私自身をどう納得させるかを自分で考え答えを出した。
あの日から今日までの期間は丁度2年…
全力で支え、時間と気持ちを費やした私…
妻の発達障害が寛解する事は無いが、職場で傷ついた心や、鬱症状…は改善が見られた。
前述したように、妻が改善していくほど、私の心は荒んでいっていた…
本来…喜ぶべき回復…
大好きな妻の症状が治まる…のだから…
しかし、こればっかりは違った…
私にカサンドラ症候群の症状が顕著だっから…?彼女の性格や振る舞いが変わってしまったから…?
きっとそのどちらも…なんだと思う。
ジワジワと溝が深まっていたんだと思う。
私は強い女性は苦手だった…それは自分の存在の必要性を感じられないから。
そして更に、「自立した…」の強さではなく、性格や性質、振る舞いの強さを持つ女性に苦手意識があった。
妻の変化はその後者の強さを身につけながら回復を遂げていった…
そして何かあれば「自分は病気だから」を全面に出し、躁なのか…鬱なのか…の容態を出したり、出さなかったり…
私の感情が最高から最低まで振られ…
日々ぐぢゃぐぢゃの中で仕事に行き、そして伺い、装い帰宅する自分であった。
結果、今回の冒頭に書かせて貰った、『共感』がほぼ出来ない妻、して貰えない私…、自分の事で言えば、妻の現状に寄り添う事が出来ない私…が居た。
この期間…2人で努力し、お互い気持ちを合わせ外出し気持ちを合わせてこれた場面も多くあった…
そんな写真や動画もたくさん残っている…
結論…
そんな状況、状態が1年以上続きつつ、我慢の感情と、理解、共感し合えない感情が勝り、双方向のコミュニケーションが消極的な事も重なり負の連鎖を繰り返した…
ついに限界点に達した。もちろん私だけでなく、妻も…。
そして同じようなタイミングで主治医に相談し、長引くこの現状に置いて、【物理的距離感】が必要なのでは…、と言うアドバイスをもらい前に進んだ…
そして、苦しい家計状況…すら省みず、別居へと動いていった。今現在…別居から2か月が過ぎました。妻や子供たちとは2週に一度は顔を合わしたり、週に一度はLineをしたりしてます。
主治医が言っていた【物理的距離感…】
その意味も解ってきました。
ここまで読んで頂きありがとうございました
(´-`).。oO
今回タイトルを変え、現在進行形の状況に折り合いをつけようとしてる自分が居ます。
後悔をした期間もありました。しかし今…
違う感情がまた芽生えています。
今の状況も聞いて頂きたく、少しでも上手にお伝え出来るようにまた文章力をつけていきたいと思います(_ _).。o○