きはちよカサンドラ日記

カサンドラMAXで別居したものの…その後…。アダルトチルドレンの自分を思い知る

共感出来ない妻と気分屋の私が別居した話①

ここまで書いてきてやっとタイトルが落ちつきました(´-`).。oO

これまでの話と被る事もありますが、改めて少し整理してみます。

1️⃣再婚夫婦の生い立ち

2️⃣発症(診療内科🩺)

3️⃣分析

4️⃣別居(物理的距離)

5️⃣その先…

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1️⃣私たち夫婦は再婚して6年目になります。

小学校の同級生だった私たちがその後に再会し、結婚に至るまでは10年の期間がありました。当時お互いに家庭を持っていました。それぞれ元の生活を精算しながら、苦難を乗り越えて再婚を果たしました…。私はやっと本当の幸せを見つけ、色々な面で覚悟を決め新たな船出をしました。私にも過去の生活で2人の子供がいましたがそこはもう無くしてしまった中、今の妻にも同世代の2人の子供が居て、とにかく私は妻と、妻の2人の子供とともに新たな家族を作っていきました。

その子供たちとは再婚前から親交を深めていたのですんなりと受け入れてくれ仲良く楽しい家族が始まりました。

妻との時間は本当に幸せで、価値観、そして日々の共感の姿勢も満足してました…。

 

2️⃣以前のブログにも記載させて頂いたのですが、2人の船出は波瀾万丈な事ばかりでした。それでもたくさん共感しながら気持ちを合わせて乗り越えてきました。しかし…

【妻】

・3年前…「大人の発達障害」と診断

・2年前…「自閉症スペクトラム障害」「適応障害」「重度のうつ状態」※一年半休職し退職

【私】

・2年前…「カサンドラ症候群

・5ヶ月前…「適応障害うつ状態

※3ヶ月間休職し復職

 

そして今から3ヶ月前…の話し(2022年夏…)全て病気のせい…と、お互いが思い合い夫婦の一時的な出来事として話し合えていたらまた違ったかも知れません。

その頃は既に発覚した症状は(主治医また客観的に観た際には)回復傾向であるのはお互い感じるところで、それを喜びあい、共感し合えたらその日はやってこなかったんだと思います。

 

3️⃣逆に私たちの関係性は末期の状態(間柄)になっていました。病気のせい…で片付ける事が出来ない身近な衝突が繰り返され、「お互いが変わってしまったね…」と思うようになっていました。

でも変わったのは絶対に病気のせいなのですが…😞そして今思えば、変わらなければ回復出来なかった妻が居たんだと思います。症状に逆らわず過ごし、それを周囲が受け止める…。

それは妻にとっての最大の治療だったんだと…。私はそれをし続けないといかなったんだと思います。

妻は発症してから重度期が1年半程度ありました。この期間…実は私、気持ち、時間、全てを妻の回復に向けて注ぎ込んできたのです。それを強く自覚しています…そしてこの妻の重度期に私はエネルギーを使い果たしてしまったんです…。私の気持ちが要らなくなる状態の妻は、いわゆる回復期。そこに私の燃え尽きた気持ちと、カサンドラ症候群の症状が思いっきり出てきてしまったんです…

変貌を感じざるを得ない妻の様子…とは、私とのやり取りの中で顕著に現れました。一番は、日々の私の話しを聞かず、自分話しに転換しそれを声のボリュームも意識せず豪快に話す人…になっていました。私が最も苦手なタイプの人へと…😫そして、それを受け止める事がどうしても出来ず、私の性格も変わってしまっていたようです。私が適応障害とうつ傾向で休職するに至ったのは家庭での自信喪失…落ち込み…から自己肯定感がマイナスに振り切っていたのを強く感じてボロボロになっていたことも大きな要因でした。仕事においてはどんなに忙しくてもこなしてこれた自分が、いつしか仕事も集中できず…公私で無気力を自覚し…そして休職へと。家計がどうしょうもない事も背中を押してましたが、ダブルでダメージを受けました。以降の私は何とか復職出来ましたが、エネルギーが全く溜まっていない今現在です。元々気分屋やところはあり、その上がりでマイナスな感情を消化、リセットしてこれてたのですが、出来なくなってしまいました。

 

4️⃣それでも夫婦を続ける為に出した答え…

これが今回の別居。

話し合いは足りて無かったのは間違いないでしょう…先程のダブルのダメージを背負いながら…舵はそっちに切って進んでいった夫婦でした。心情面だけでなく、俯瞰して見た感じは、

●豪快で自己中な変貌を遂げ寝てばかりの妻…

●自己肯定感が無くなり言葉を発しない私…

私が妻と別居に至る話しあいで最期に伝えた言葉…「もう何も共感出来なくなってしまったね」であった。妻からは「全部わたしのせいなんでしょ…。そしたらもうパパが決めていいよ…」静かなやり取りでした。

別居と言う実際ではあるが、2人の中の共通の言葉は【物理的距離】をとる…と言う行動。

共通の主治医が解決策の一つだと発した言葉…。私には強く響きました。「貴方はもっと自分勝手に生きなさい。自己満足出来る何かを始めなさい」

そこに背中を押されたのも事実。その主治医は私たち夫婦の見届け人であり、もちろん2人ともまた通院中の身です。

 

5️⃣別居してもうすぐ3ヶ月になります。

この3ヶ月は長くもあり、あっと言う間でもあります。何かの記事で戻るリミットは6ヶ月…などと書かれてました。

いろいろな意味での『楽』は感じています。これはお互いでしょう…。しかし反面、「このままで良いのか…」「このままのほうが良いのか…」ずっと考えている私がいます。幸いに子供たちには理解され、お互い助けられ、仲介もしてくれてます。

 

あとは私たち夫婦の問題です。家計もヤバいです。妻は何とかなるでしょう論。私はその逆。

 

戻る前提での別居…ですが、どうなっていくのか、自分で自分がまた解っていません…。

それでもこれからは戻る為にもたくさんの思い出に触れていこうと考えます。良く考えたら、良かった事…の方が多いんですよね…。

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