きはちよカサンドラ日記

カサンドラMAXで別居したものの…その後…。アダルトチルドレンの自分を思い知る

その① その日から…

その日から…

少しずつ妻の状態に合わせながら過ごしていく自分になっていった。もちろんそれが当たり前で、自然なことだったから…

妻であり、母であることの割合いが減っていったとしても、大事な家族なのだから…

 

しかし今思えば私は、愛情とは違う感情を妻に抱き、ただただ、してあげる事に自己満足していた。

私自身も、その時、『依存』出来る何かが必要な状態だったのである…。『自分が無い…』のブログにも書きましたが、私はまさにアダルトチルドレンそのもの。

頼らること…、

喜ばれること…、

感謝を見せて貰えること…

これ私の糧であり、自身の生き甲斐であったから…。私にとって、この状態の妻を助ける…と言う使命感が自身のやる気とモチベーションを上げ、自分を保つ原動力になっていた。

妻を独り占めしたい…。出来る…。と言う思いもあったかも知れない…自分が唯一の支えだと信じてもいた。

もちろんお互いが依存し合い、笑い合えた時の充足感は高かった。妻も落ちつく日が多くなっていった。たくさんのお金と時間を費やし、それでも気にせずに妻の希望を叶え、希望してなくても何でもやっていた自分がいた。

 

自分が支えてあげている…

自分が居るから彼女は元気で居れる…

 

ますます私自身のやり甲斐も高まった。

仕事も目一杯…家事や子育ても目一杯…

それが出来てる自分が少し好きになれた。

それでも、当時(2年前)妻が元に戻っていると言う感じはなく、どちらかと言うと、話し方や振る舞い、そして性格までが幼稚化(退行)していっていた。何度も受診し、相談した結果、それは自己防衛反応だから問題ない…と言われたが、家族として、夫として、問題ない状況ではなかった。

それからも妻の変化や発作的な症状は続いた。

当時中高生の息子、娘もただオドオドするしか出来ず、私は一生懸命に自分を普通に振る舞った。子供たちも父親である私に協力する気持ちを見せてくれた。

妻が豹変するのは決まってお風呂の時であった…。あの日と同じ症状…フラッシュバックして解離を起こす。

これの繰り返しだった。私のモチベーション、我慢や頑張りが崩れていく瞬間でもあった…。自分の気持ちや支えが通用しない無力さ…が積み重なっていった。

 

その頃、仕事の忙しさもピークで、全てを背負ってる気持ちのまま日々過ごしていた。

自己肯定感が急降下していることを自身で気がついていた…。それは仕事人としての私にも影響していった…

 

 

 

ここまで読んでくれてありがとうございます。

頭の中のヒューズを飛ばしながら生きてきましたが、改めて思い起こすと、すぐに当時に繋がる自分が居ました…。

 

文章力が無く、今と以前と、その途中がぐちゃぐちゃになってますが、整理します。

次回、また続きを聞いてください。